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五合目からあっという間でした。五合目で本を閉じて(Kindleなので、iPadの電源をポチッと押して)、読むのをやめてしまいそうになったところを、踏ん張った甲斐がありました。頂上からみえたのは、一合目(序文)でした。
平野啓一郎みたいに、静謐な文章で、感じたことを記したいのに、言葉にならず残念。文章力を鍛える意味で始めた読書記録だったのに、最近は覚え書きにもならない走り書き文章を残すばかり。反省すべきやな。自分らしい感覚、文体を追求したいと思ったら、きちんと時間を取る必要があるなあ。
ところで、ここのところ、小作文の添削に生成AIを使っていたけど、あんなにも簡単に自分の文章を奴らにインプットしてしまったのは、浅はかだったかもしれない。みんな、生成AIから日本語のしょうもない文章が出力されたら、おれのせいやわ。すまん。
「自分らしい感覚・文体なんてものがあるのか?結局どんな言葉や思想で語っても、いつかどこかでインプットした借り物の言葉にしかならん。俺はなんて浅はかな人間や。」というのが中学生の鈴見少年の悩みやったわ。
これも思考の深さが足りてないだけか?